ブラッディミロ リナルディ Vladimiro Rinaldi


アポエシディ


すべての星がさなぎの如く待つ
まず幼い少女ら そして 燃えた赤い光
じっと眠った男達
段ボール紙の上でぼろきれの如く
地下鉄に面した網の上で

愛する タールも溶けるような夏
藍色の瞳をした
黄金の髪のかよわいマリアは水路へ
蝶々だけ 彼女は無理
急いでる 跳びはねるおはじきが
当たり そして 鳴り唄う

胸元が無防備になる九月
シャッターの背後で紫色がほとばしる
リンパ腺の血

刑務所のスラム街から スラム街の刑務所へ

輩が独房を開く 時間だ
凧が自由に放たれる
血の如き赤い 西瓜の畑
唇から唇へ 愛した仲間と共に
胡桃の木々に染み透る星として
そして木の葉と一緒に
ああ悲し 落ちる運命

くたびれた壁のある地域で
ブラックベリー ブラックベリー こだまする
腰の曲がった老婆
木のバケツいっぱいのベリー
十リラでおまえに一袋やろう

心地良い 恍惚の秋
静脈の星らを切り裂く
傾いたペチコートを通し 滴る

近くの井戸のポンプからの水が濯ぐ
ペチコート姿の無垢な彼女を

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この詩は、精神病院で亡くなった労働者階級の15歳の少女、マリアに捧げられたものです。イタリア語から翻訳されました。必ずしもすべての単語が表現できているとは言えません。句読点は故意に省略されています。
水路(イタリア語、マラナ:marana)
これは、かつて一般的にローマ語であった、人工水路と自然水路を結ぶ小さな排水路、を意味さす言葉です。
これらの排水路は、今現在政府の投機により、イタリア、ローマ周辺の素晴らしい田園と共に失われつつあります。
ほとんどの一般的な伝統はこの田園と関連しており、その為、伝統も、深刻な郊外からの労働者階級のローマ人の個性の喪失と共に、失われつつあるのです。

アポエシディ(APOESIDI)という言葉を伊和辞典で調べても見つかりません。なぜならば、これはこの詩を書いたブラッディミロ リナルディ によってイタリア語の二つの単語 、apolide(無国籍)と poesia(詩)を繋げて創られた、いわゆる造語だからです。アポエシデ,APOESIDE(複数形、アポエシディ,APOESIDI)は、イタリア人にだけでなく、全世界の、純粋に詩的に人生を送っていたにも関わらず、詩を遠ざけられ社会から締め出されれた人々を表現するに当たって、魔法の言葉となるべきです。実際、詩とは一体何でしょう?技巧的に配列した単語の集まり、と表現してしまうよりもっとそれ以上のもの。詩人でなくても、誰かがアポエシデに当てはまり、誰かはそうでなく、寛大な心、それか正義への夢、もしくは、より良い人間の一人であろうとする心を忘れてしまっているのです。なぜならば、私達はただの人、人間だからです。障害、人種差別そして古典主義は、無知と利用の結果です。地位や、肌や瞳の色は問題ではなく、自分自身と他人への尊厳の評価が大切なのです。このような心がなければ、人類はひどく非難され、痛ましい絶滅へとつながるでしょう。死んでしまえば、みんな同じ容姿なのです。
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